記憶に焼きついたものを他のものにそのまま写してはならない らしい
一個の動物、植物、もしくは地上の任意のものを認識することは、それらのなか、あるいはうえにおかれた記号(=しるし)の厚い層全体を取り入れることである。あるいはまた、記号がそこで紋章としての価値を帯びる諸形態の星座すべてを再発見することである。
知ることとは言語を言語に関係づけることである。語と物との画一的な平原を復元することである、
大きな時計と小さな時計、どっちも時間は同じだ
三木鶏郎は最高でげす。べけんや、べけんや。
いけないルージュマジックを歌って踊って遅ればせながら追悼。TTに感謝。
今日は一日ノイズを浴びまくったが、JIMの意外なかわいらしさに癒されもしたり。
and was looked INTO rather than AT. 思ったより長くかかった。数年という単位なんだが、約100Mほどの距離の道路を開通させるのに、毎朝8時には働きだし、掘っては埋めて掘ってはまた埋め、電線もついでに地中に埋めたりしながら日の沈むまで作業し、作…
彼岸には平和が少ないらしい peace hopeはどうなんだろうか
メロディ・ガルドのライヴ@リキッドルーム 泣いちゃいそうだぜ
三津五郎が言うには富山のカタツムリがフランスに輸出されてエスカルゴとして日本に逆輸入されてくるというのだが確かに昔小さい頃に4、5年富山に住んでいたけど梅雨の時期には近所で一日5、60匹のカタツムリを捕まえていたことを思い出してそうか富山…
ファスビンダーの映画を見て阿部和重のシンセミアを思い出す
反復されることによってはじめて現実的なものとなり、確認されることになるのである
歴史は水平
記憶は垂直