ゲーテ

、、、ゲーテには気をつけるんだぞ。彼はみなの胃を駄目にするが、と私は言った、ドイツ人だけは平気だ。ドイツ人たちはまるで世界でもまれな奇跡のようにゲーテを信じている。にもかかわらず、この世界の奇跡は俗物的哲学的シュレーバー菜園主でしかない。私がシュレーバー菜園とは何か説明すると、ガンベッティは大声で笑い出した。ガンベッティはそれを知らなかったのだ。総じて、と私はガンベッティに言った、ゲーテの作品は俗物的哲学的シュレーバー菜園だ。何においてもゲーテは最高のことはしなかった、と私は言った。すべてにおいて凡庸さをもたらしただけだ。彼は最大の叙情詩人ではないし、最大の散文作家でもない、と私はガンベッティに言った。そして彼の戯曲をたとえばシェークスピアの戯曲と対峙させてみたらいい。それはちょうど、背の高い牧羊犬と、フランクフルト郊外の発育不良のダックスフントを向かい合わすようなものだ。ファウストとは、と私はガンベッティに言った、何たる誇大妄想だろう!執筆する誇大妄想狂が全面的失敗を犯した実験だ、と私はガンベッティに言った。全世界が彼のフランクフルト産の頭の中に闖入してしまった。ゲーテ、誇大妄想のフランクフルト市民兼ワイマール市民、フラウエンプラーンに居を構えた誇大妄想の大ブルジョア。ドイツ人の頭を狂わせ、いまに至る百五十年にわたりそのことで良心の呵責にたえないはずなのに、彼らを馬鹿にしつづけるゲーテゲーテとはドイツ精神の墓堀人だ、と私はガンベッティに言った。ゲーテを、たとえばヴォルテールデカルトパスカルに対置するとすれば、と私はガンベッティに言った。カントやもちろんシェークスピアでもいいのだが、ゲーテは驚くほど小さい。何と滑稽な詩聖だろう。それにしても詩聖とは徹底的にドイツ的な概念だ、と私はガンベッティに言った。ヘルダーリンは偉大な叙情詩人だし、と私はガンベッティに言ったことがある、ムジールは偉大な散文作家、そしてクライストは偉大な劇作家だが、ゲーテはそのいずれでもない。