6/17に上映会をやるクストリッツァについての覚え書き

現在のボスニア・ヘルツェコビナ首都であるのサラエボで生まれた。イスラム教のボスニア人なのだが、彼の家族は正統的なスラブ系の血筋をもっている。父親のムラットは大多数の他のユーゴスラビア人と同様に、コミュニストになるために自分の信条を捨てたのだった。


Do you remember Dolly-Bell?でヴェネツィア映画祭の賞をとった時、
クストリッツァはちょうどそのころ軍隊にはいっていて、ヴェネツィアでもらった賞を取りに、24時間だけユーゴスラビアを離れていいという許可を軍隊からもらってやってきた。
この映画はもともとユーゴスラビアのテレビのために企画されたものだった。タイトルであるドリーベルといのは、1958年のイタリア映画 「ヨーロッパの夜」(アレッサンドロ・ブラゼッティ監督)のなかのクレイジーホースという劇場のストリップ嬢の名前である。



この映画では、全ての俳優がそれぞれ自分のアクセントで自分の言葉を話している。ユーゴスラビア映画ではこの作品で初めて公用語であるセルボークロアチア語ではなく、いわゆるボスニア語ー実質的にはサラエボ語なのだがーが使われている。



クストリッツァは18歳の時プロのサッカー選手になるか、映画監督になるか選択しなければいけなかった。サッカーは彼の作品によくでてくる。