1941年の4月5日、ナチスユーゴスラヴィアに侵攻する前日、色とりどりの乗客が、セルビアの片

田舎のとある道で、Krstić & Sonのバスに乗り込み首都のベオグラードへ向かう。ジプシーのミュー

ジシャン2人、第一次世界大戦の退役軍人、ドイツ崇拝者、歌手の卵、結核病みの男、ライフルを持

った狩人。このバスはKrstić Sr所有のもので、彼に影響されやすい息子のMiškoが運転する。

道すがら、牧師と、海岸へ向かう若い新婚夫婦が乗り込んできて、いくつかのトラブルに見舞われる

。タイヤのパンク、がたがたの橋、道を耕す農民、葬式、反目する家族、Krstićの息子の軍隊への召

喚、財布の紛失など。これらのことでバスは足止めをくらい、乗客たちの間の溝を浮きださせる。

4月6日の朝、戦争の噂の中、ついにベオグラードに到着するが、ルフトバーフェ(ナチス政権下の

ドイツ空軍)の襲撃によって爆撃され、2人のジプシーミュージシャンだけが生き残り、最後に映画

のテーマソングを歌う。

登場人物と背景

映画の始まりから、時勢についての話や日常会話から、登場人物の性格や感性がはっきり規定される

。乗客はだれもお互いを名前で呼ばない。初対面であり、お互い深い関わりを結ぼうとはあえてしな

い。一見、コメディーのように見えるのだが、この映画のさまざまな層が、当時のセルビア社会の構

造と雰囲気を示す鋭い細部を浮かび上がらせる。


第一次大戦の退役軍人

年取った第一次大戦の退役軍人(Mića Tomić演じる)は気難しい老人で、最近徴兵された息子を訪ね

に行くところである。彼は自分の子孫が、家系の誇らしい軍隊の伝統を継承することを非常に喜び、

話を聞いてくれる人にはそのことを欠かさず話す。そして彼は唯一私たちがその名(Aleksa Simić)

を知ることができる登場人物である。彼の名はとりとめない会話の途中で、軍隊の記章ともにふてぶ

てしく語られる。彼は気が短いので、他の乗客ともすぐに口論になる。彼は基本的には何か文句があ

るときだけ人に話しかけ、自分の怒りを相手にぶつける。この老人は、当時すでに絶頂にあったドイ

ツ軍のヨーロッパ内での暴挙に対して、言葉で言わずとも関心は示しているが、十分これから起こり

えるユーゴスラヴィアへの侵攻に対する恐れは微塵も見せない。ある場面でドイツ崇拝者がドイツの

薬と労働倫理を賞賛したのに対して、彼は堂々と、そして怒りをもってこう答えた。「お前はあの糞

野郎どもがまたやって来たらいいと思っているんだろ。上等だ、1917年にはオレはあいつらを蚤の

ようにこのあたりからつまんで追い払ったんだ。」

また別の場面では、バスの切符のお金を払うときに、彼は運転手であるKrstić Srに運賃がタダになら

ないかとたずねる。理由として、軍隊にいる息子に彼の持っているお金をすべて与えないといけない

からだと言う。Krstić Srは拒否する。それに対して歌手の卵が皮肉ってバスの後部座席から歌うよう

に言う。「いいじゃない、ご老人をタダで乗せて上げなよ、おしっこする尿瓶も持っていないようだ

しさ。」侮辱的な言葉に上気した退役軍人は怒りに足をふみならし、彼の購買力を示すために5枚の

切符を買うという。Krstic Srはこの要求も拒絶して、今度は怒りながら、(困らせないでくれ、ご老

人)切符を一枚だけ売る。


ドイツ崇拝者

このドイツ崇拝者(Bata Stojkovićが演じる)は、衝動的な退役軍人とは正反対である。適切で的を

射たトーンで話し、彼は常にこのバスの中の環境に対して微妙な侮蔑を示す。鼻をつんと上に向けた

まっすぐな姿勢から、頻繁な見下す発言まで、彼についてのすべてのことは周りの人に対してよくし

すぎることに対しての個人的な意見をあらわすように思われる。

彼がナチス支持者かどうかははっきりとは示されない。しかしながら、彼はドイツの生活様式に単に

畏敬の念を抱いているだけである。上記の、退役軍人との口論で、ユーゴスラヴィアへのナチの侵攻

に関して彼の最後の言葉は、「わかった、聞いてください、少なくともこの辺りに秩序はできるだろ

う」

ドイツ崇拝者は何でもすぐに非難する。結核病みの男と希少な石や民話を集める性向に関して話てい

るときに、日々出会う人が彼の活動に興味を持たないことを嘆く。森でセックスを楽しむ若いカップ

ルを見るのに追いかけるとき、彼は酷評するのもまた真っ先である。二人が、他の乗客に覗かれてい

ると知らずにナニをしているとき、彼は二人を嫌悪して眺めながら、「恥ずかしくないのか」と言う

。歌手の卵に「私たちはこれを見に来たのよ。」と指摘されたときも、「それは関係ない」と理由付

ける。恥をかいた若い新婦がその後、バスで座席を譲ろうとしたときも、彼は猛烈に拒んで、「君は

あの藪の中で君がどんな人間で、どんなものか見せたじゃないか」と言う。

またその後、退役軍人の財布がなくなって、Krstic Srが財布が見つかるまで乗客全員の身体検査をす

ると発表したとき、ドイツ崇拝者は彼を制止し、「なぜ、誰が盗みそうなのかをわかっているのに、

善良な我々全員を煩わせるのか」とジプシー2人を指し、不当にも財布がでてくるまで、彼らに殴っ

て罰を与えるよう促した。


狩人

Elmer Fuddような容姿と、かしいだ歩き方から、狩人は主に息抜きのために使われるぼうっとした役

立たずのキャラクターである。最初にバスに遅れたので、彼は途中でバスを止めて乗ろうとする。こ

のことは馬鹿げておもしろい場面となる。Krstic Srは「バス停は200m先だ、バス停じゃないところ

で客を乗せるのを誰かに見られて罰金うけたらどうするんだ」と言って乗車を拒否することによって

、場違いな権威を振りかざそうとする。その場所は完全な荒地で、人が生活している形跡はまったく

ないにも関わらず。

狩人は後ほど、ライフルが偶発したために、Krstic Srによってバスから降ろされる。その前、すでに

狩人はウサギ狩りの際、ドイツ崇拝者を誤って撃ちそうになったことですでに乗客の怒りを買ってい

た。

狩人は Taško Načićが演じている。


歌手の卵

歌手の卵(Dragan Nikolićが演じる)はシュラガーを歌うことを自分の経歴に入れ名声を得ようと夢見

ている田舎のしゃれ男である。彼がベオグラードに向かう理由は、Lipov ladというボヘミアンクラブ

で定期的に歌う仕事のオーディションを受けるためである。他の乗客は年上で特に興味もないため、

彼は主に若い新婦としか話さない。いちゃついているのを冷やかすのだ。乗客たちがこの若夫婦が森

でセックスしているのを見つけて、覗きに行ったときうまくからかった。新郎がぎこちないのを見て

「あの子には足がかりがないようだ」と。後に彼は新婦に、ベオグラードで一緒に暮らそうと堂々と

彼女に言い寄る。


結核病み

最初から、この結核病みは(Boro Stjepanovićが演じる)健康に関する不平を言い、ハンカチを口に

あてながら激しい咳をする。彼は禿げた虚弱な中年で、人生を悲観し、そのことが虚弱なことを運命

づけられたような印象を与える。

常に咳をして文句ばかり言っているにも関わらず、いくつかの場面では走ったり体を動かしたりする

ので、彼の症状は心身相関なのではないかと思われる。最初に、乗客が正の強化療法を提案したが、

自己憐憫を感じ、それを示す強い意志にぶつかりあきらめてしまう。終わり近く、彼はハンカチに血

痰をはく。これは当時よく知られていた結核の症状である。


Krstic Sr.

とても変化に富んだキャラクターのKrsticはこの物語の起こる古いバスの所有者である。50代後半で

、太っていて、厳しく、欲深いが、息子に対しては献身的で、生きている間は息子を助けようと決意

している。彼はバスの所有者であるが、同時に豚の商人でもあり、一種のペテン師のようなものであ

る。映画の冒頭で、彼は乗客が嫌がるにもかかわらず、豚を何頭かバスの後ろに乗せる。「ベオグラ

ードでこの豚を売れば、バスの運賃よりももっと儲けられるんだ。」と言って。彼は、すぐに人にけ

ちをつけ、バスから乗客を降ろす。それも、運賃を払わせた後に。彼のキャラクターは最初は典型的

な不平屋(悪意はないが)だが、映画の終わりに向かって愛らしい、世話好きな父親へと変わってい

く。


ジプシーミュージシャン

二人のジプシーミュージシャンは映画を通して、ギリシャ劇の合唱隊のように一種の注釈を提供する

。一人がアコーディオンを弾き歌い、もう一人が口琴を弾く。映画はこの二人の歌から始まる。この

歌は「私はみじめだ、このような生まれで。痛みは歌い飛ばすんだ。ああ、ママ、これが全て夢だっ

たら。」と繰り返す。映画の終わり近く、二人は第一次大戦の退役軍人の財布を盗んだといって責め

られる。その後、争いになって、その間にバスが爆撃される。二人のミュージシャンだけが生き残り

、残骸から這い出た二人がこの歌を歌って映画は終わる。


評判と豆知識

・この映画はユーゴスラヴィアで配給後すぐに傑作とみなされた。今日まで、すでに30年になるが

バルカン半島の映画でもっともよく引き合いにだされる作品である。特異なシーンや会話はほとん

ど一般知識の一部であるが、土地固有のものも多く含んでいる。

・この映画は1981年のモントリオール世界映画祭で審査員特別賞を受賞した。

・1996年、Yugoslavian Board of the Academy of Film Art and Science (AFUN) のメンバーがこの映画

を1947から1995年の間に作られたセルビア映画でもっともすばらしい作品として選出した。

・噂では、 Goran Paskaljevićがこの作品を監督することになっていたが、結局slobodan sijanが監督
になった。

・最後の爆撃シーンは元々、爆撃されたベオグラード動物園から逃げ出した動物たちが街を徘徊する

姿を含むはずだった。これは実際1941年4月6日の空襲で起こったことである。事実、この奇怪な事

件について書いた新聞を見てインスピレーションを受けたDušan Kovačevićはこのシーンを映画に入れ

ようとしたのである。不運にも、この映画を撮影中1980年にチトーが死んで、喪に服す期間が続き

、その間この国のすべての娯楽活動は中止された。その結果、このシーンのために動物を用意してく

れるはずだったイタリアのサーカスツアーも中止になった。訓練されていない動物園の野生動物を使

うのはとても危険なことと思われたので、監督はいやいやながらもこのアイデアをあきらめた。しか

しながら、このアイデアは15年後、『アンダーグラウンド』の冒頭シーンで使われることになる。