zagreb film

1962年にはKristlは「将軍と本当の人間」という風刺的なリアリスティック短編映画の製作に取りかかったが、そのことによって彼は検閲機関ともめることになったのである。このことに嫌気がさした彼は、東ドイツに逃げたのである。ザグレブでは、古い政府、新しい政府のもとでも彼はそれでもなお偉大なアーティストとして讃えられていた。Kristlの高く洗練された作品はザグレブに貴重な遺産を残し、他のアーティスト達はそれらにインスパイヤーされ追い付こうと必死になった。それ以降、鉄の掟がある。アニメフィルムはたったひとりによって作られるもので、理想は、アーティストがすべての製作過程、ドローイングについての最初のアイデアから、その結果においてまで責任を持つべきである。
話をサドゥールにもどそう。ザグレブスタジオは本当に一つの「流派」なのか。それとも単なる集まって仕事するのが好きな人間のグループだったのか。サドゥールの本で、Z=Zagreb フランクフルトのロナルドホロウェイは空想的な視点に、推測を加えてこう書いた。「ザグレブスタジオは『流派』ではなく、家族である。おそらくこれほどの親しい相互信頼の雰囲気はどこにもない。アーティスト達は古いザグレブスタジオの中庭のカフェで出会った。そこが彼等が最良のアイデアを思い付く所であった。他国からのいい条件の誘いにもかかわらず、彼らはいつも自国にこだわって、自由にアイデアを交換しあったり、必要なときには助けを求めたりできる自由な雰囲気に惹き付けられた。」確かにかつてのユーゴスラビアにおいてほど、アーティスティックで知的な自由が存在していた社会主義国家はなかった。映画のクレジットを見れば、確かに「大家族」という名に納得できる点がある。誰もが、その他誰の映画を手伝っていて、同じ名前が何度もクレジットに出てくるのである。しかしながら、もっとよく映画をみると、彼等が根本に共通して持っているものは、時代精神と、芸術的、哲学的根源の思想であることが分かる。独自性は重要なことである。ほとんどの映画制作者は、自分の作品に個性的な容貌を与えようと熱意を注ぐのである。