ザグレブフィルム

shimatto2005-04-16

1956年に、初期のクロアチア、したがってユーゴスラビアのアニメーションフィルムの父であるVukoticはプーラ映画祭で賞を獲得した。そしてザグレブフィルムは長い間待ちに待たれたアニメスタジオをようやく手に入れた。同年、新しいザグレブフィルムの初めての作品であるNestasni Robot(愉快なロボット)が製作され、その後、バルタザール教授しいリーズの59本と、仮面刑事シリーズの13本、マクシキャットシリーズが24本、100本以上の小品や、小さな空飛ぶ熊シリーズなどその他280本余りの作品が作られた。
 1958年の春ザグレブのアニメーションフィルム制作者達はオーバーハウゼンで最初の成功を祝った。その後カンヌ映画祭ではザグレブアニメーションの特集が組まれ、批評家や同業者にその洗練されたテクニックと大胆な題材を印象づけた。
 映画史家のジョルジュ・サドゥールは「アニメ映画のザグレブ派」と彼らを名付けた。そしてMimicaとMarksによるSamac(孤独)という作品がウ゛ェネチア映画祭で最優秀アニメ映画賞を獲得した。これが最初の国際的な賞の受賞で、それ以後いくつもの作品が賞を獲た。ザグレブフィルムは一度だけオスカーを獲得しとことがあったが、(そして
”Igra”と”Tup Tup”と”Satiemania”がノミネートされたことはあった)"Surogat"がアメリカ以外で作られた作品ではじめてオスカーを穫ったのである。ザグレブフィルムの作品が獲得した賞のリストは非常に印象的で、おそらくこれほど映画祭で賞を穫った製作プロダクションは他にはないだろう。
http://www.pulafilmfestival.hr/