ザグレブフィルム

shimatto2005-04-13

間もなくKostelacとVukoticのまわりのdugaフィルムのアーティストのグループが雑誌や本のためにマンガやイラストを描くのに飽きてしまった。そして彼らは再度アニメ映画を作るのに熱意を燃やし、自分のお金をそれに費やすことまで考え、ザグレブフィルム(当時は主にドキュメンタリーを製作していた)はそれらのフィルムをプリントし配給する役目を引き受けた。スタジオはホテルの一室であり、そこにかれらは自分自身を缶詰めにして、アイデアが詳細までうまくいくまで出てこなかった。そしてもっと複雑なプロセスに取り組まなければならなくなると、彼らは友人に助けを求めた。作家、建築家、彫刻家などが必要なときはいつでも専門知識を提供してくれたのである。

材料、特に絵描き用のいい箔は非常に少なかったので、かれらは「切り詰めたアニメーション」を発展させた。絵は動きのダイナミズムを失うことのないよう最小限に制限されなければならなかったが、いくつかの映画ではその結果、より強い映像効果が得られたのである。この「切り詰められたアニメーション」がどれだけ絵を自由に解放したかをあなどってはならない。確かな現実世界の単純な描写が逆に現実をつくりあげるのである。これは近代の実験的コマーシャルの先駆けとなるものである。この切り詰めたアニメーションの形式で、ザグレブの漫画家達は新しい自由を発見し、かれらの独自性や創意工夫をさらに改良したのである。フィルムのペースは上がっていき各シーンは新しい表現形式を通じて豊かに高められていった。さらにアニメ映画にはその動きにさらに意味におけるニュアンスも加わった。ディテールがアクションを決定し、綿密に計算された時間の順序は表現の正確さを強調することになった。dugaスタジオではアニメ映画は通常12000から15000枚の絵で構成されていたが、「切り詰めたアニメーション」ではたった4000から5000枚の絵で十分だった。それらの映画は非常に大胆で前衛的であったが、商売上のクライアントが文句をいったり、そのようなフィルムを拒否することは全くなかった。