translation

もし言語の「真実性」が、その言語を母語にしないものによって話されることによって立ち上がってくるものであるなら、このことは確かにストローブ/ユイレが「オトン」以来、ある特別な一貫性をもって、これまでにほとんどの映画で使用してきた方法である。「階級関係(アメリカ)」では、ブレヒトの「saint joan of the stockyards」との関係でみてきたように、ネイティブのものとそうでないアクセントと、ある程度の話者の演技の訓練、非常に多種多様な話し方、ピッチ、スピードとの間に異化作用が加えられる。「エンペドクレスの死」は声の多様性をさらに押し拡げ(シェーンベルグのオペラに於けるシュプレヒシュティンメを含む)、一方ではソフォクレスの「アンティゴネー」のヘルダーリンの翻訳のブレヒトの翻案の映画に於いては、翻訳の三重の不可能性が再現される。
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ここでベンヤミンのエッセイ「翻訳者の使命」とポール・ド・マンの「理論への抵抗」の中でのその読解について触れよう。一般に、ストローブ/ユイレの映画制作手法は、ベンヤミンがいうような翻訳の行為に極めて類似しているということができる。ド・マンはベンヤミンのテクストは実は「詩」であり、詩的言語と意図、意味、歴史の関係を追究するものだと指摘している。翻訳者の使命において現れるように、ベンヤミンの詩的言語の洞察は、ストローブ/ユイレの映画制作に直接あてはまるものである。
まず最初は、ド・マンが言うように、翻訳はその言葉の定義からしてうまくいかないと言うベンヤミンの主張である。何かを表現することが翻訳者の使命ではなく、言語間の関係を単に示すことが重要である。
"landscape of resistance" Byg,Barton

http://www.greengrape.net/schoenberg_lieder/1_1_gaikan.html