nonaudibility

吉増剛造のライブin東京外語大 朗読会という単語は本人気にいらないとのこと。学校という場で行われたこともあるが、完全なパフォーマンスというよりも、自分の思索、詩作についての説明、自分自身での自己分析、確認、といった要素も入り交じったとても素晴らしい体験だった。吉増氏の言葉、発声にかかると、分析は詩であり、詩は分析であり、詩作は思索でもあり、試作でもあることが伝わってくる。
吉増剛造にとってまず重要な要素は音声であるようだ。ジェームス・ジョイスの声、その他の作家の声をテープレコーダーでわれわれに矢継ぎ早にとっかえひっかえ聞かせてくれるそのすがたは、クリスチャン・マークレイのようにも見えた。なにしろ写真を撮るのもまずはカメラのシャッター音を聴くのが好きで撮っているそうだ。
バド・パウエルun poco locoでのマックス・ローチカウベルの音、タイミング、これは僕も大好きで、気になっていた。同じことを気にしている人に出会うのはうれしいことだ。