夏休み

小学生の時分、市民プールへ行った帰りに防空壕があった記憶を呼び起こし、その辺りを歩いてみたら、ほどなく防空壕の跡は見つかった。小さな穴が並んで2つ。60年前の夏にはこの穴はどうしていたのだろう。この日と同じくらい暑かったのだろうか。この日も空には米軍の飛行機が飛んでいた。60年前にも同じように米軍の飛行機は飛んでいたのだろうか。
 
その後うら寂れた古本屋でリチャード・ミズラックの写真集、「狂気の遺産」を購入。原爆実験の跡のアメリカの砂漠を撮影した写真。これもなにかの縁か。しかし写真が美しすぎて、、、。美しさが無気味さを表すということもあるのだろうが、牛の死んでいる姿、原爆のある社会、隠喩として抑止力として働く原爆という概念ではなく、その直接の破壊力を表象する力は、写真などにあるのだろうか。